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2019春活動2期4日目

こんばんは。スタッフ4年の北村です。

2期の活動最終日だった昨日、まず午前中は慶應の森で活動を行いました。1期の人たちが作ってくれた杭や横木をリュックに詰め込み両手に抱え、山頂に向かう間修理の必要な箇所に材木を置いていきました。今の時期、杉の花粉が大量に舞っていて足元を真っ黄色にしながら登ったのですが、花粉症の人たちはくしゃみが止まらず…杉の葯を食べると花粉症が治ったというスタッフの経験談を元に、新鮮な杉の葯を探して食べてる人もいました。材木が重いやら花粉でくすぐったいやらで無事山頂にたどり着いた後は、雨がぱらつき始めたこともあり下山を開始しました。そして、3箇所ほど階段を整備してから慶應の森を後にしてお昼ご飯に向かいました。

最終日のお昼ご飯はさんさん商店街の「はしもと」で海鮮丼を食べました。写真に加え、めかぶの天ぷらや穴子の一本揚げも頼みましたが、どれもとても美味しかったです!!

午後は、3期と上の山緑地公園に合流し、南三陸町で高長味噌を作っている高橋長康さんのお話を聞きました。高長さんは、震災当時志津川小学校の避難所で自治会長をされていた方です。今回は、高長さんが震災発生後からどのような経路で志津川小学校まで避難したか、自分たちの足で上の山緑地から志津川小学校まで歩きました。私はこれまでに何回か高長さんのお話は伺っていましたが、実際に歩く回に参加するのは初めてでした。小学校へと続く山道は、雨ということもあり薄暗く…津波を目の当たりにして避難していた町民の方は、どんなにか心細く不安な思いを抱えていたのだろうかと考えながら歩きました。

残念ながら小学校は、卒業式準備中のため体育館の中に入ることはできませんでした。ですが、8年前、この落ち着いた時の流れる小学校が避難所として多くの町民が集い、様々な感情に満たされていたのかと考えると、当たり前であることの脆さを身に染みて感じました。

ポータルセンターでは、主に災害を自分の身の上に起こることとして考えることの大切さをお話してくださいました。震災当時、避難したのに家に物を取りに戻った人、避難せず家にとどまった人、車で逃げようとして津波に巻き込まれてしまった人がいます。自然災害に自分がまさか遭遇するとは、とどこか他人事に考えてしまうことの恐ろしさを、そしていざ遭遇したときにどう行動すべきか知っておかなくてはならないと強く感じました。

私ごとですが、今回の活動で2015GWに初めて参加してから約4年間続けたスタッフとしての活動が終わりを迎えました。最初は、被災地でボランティア活動をしたいと参加しましたが、プロジェクトのスローガン「被災地ではなく南三陸町へ行く」「南三陸町のサポーターになろう」を通じ、最近では南三陸町の方々や食べ物、あらゆるものが好きになって通い続けていました。町の方々に顔を覚えてもらい、「おかえり」や「また遊びに来てね」と声をかけられたり名前を呼んでもらえることの嬉しさ。こんなにも深い関係を町の方と築けるようになるとは思ってもいませんでした。それもこれも、町の方々の温かさと南三陸町の魅力によるところがとても大きいです。

私は、そんな南三陸町との縁をこれからもずっと大切にしていきます。皆さんもぜひ、南三陸町を訪れて、その魅力の虜になってください!!


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